「雪渡りカンコ すが渡りカンコ」。こんな歌いだしで始まるわらべ唄「雪渡りカンコ」。舞台は、2月か3月の雪原です。降り積もった雪の表面を太陽が照らし、融けた雪の表面が夜の寒さで凍ります。特に冷え込んだ朝には、雪が堅く締まり、凍結して氷のようななめらかさで一面を覆います。雪の上をどこまでも歩いて行ける―。この情景を「雪渡り」と呼びました。
「雪渡りカンコ」というわらべ唄は、岩手県や青森県を中心に分布しています。歌詞や唄の題名に土地によって違いがあるものの、「堅雪」、「凍雪」、「雪渡り」、「すが渡り」という凍った雪原を表すフレーズが登場するのが特徴です。 亀ヶ森にも、「雪渡りカンコ」が伝わっています。子どもたちの歌声と、春を待つ北国の情景を重ねるとき、広々とした雪原に、子どもたちがはしゃぎながら歌い遊ぶ姿が目に浮かぶようです。
目にしたもの、耳にしたことの本質をそのままに、そっとやわらかく作品に織り込んでいった賢治さん。童話「雪渡り」では、雪渡りカンコの唄が作中で大きな役割を果たしています。唄の歌詞を変えたやりとりを通して、主人公の子どもと子狐の会話も進められていきます。
「雪渡り」は、賢治さんのデビュー作であり、生前唯一の原稿料を手にした作品であると云われています。北国の情景をありのままに描いた舞台に、幻想的な狐との交流を重ね、明るさの中にも、チクリと人間への風刺を込めた作品です。
賢治さんが銀河の森と深く関わることになったきっかけは、大正7年(1918年)に行われた稗貫郡の土性調査です。盛岡高等農林学校の研究生だった賢治さんが、調査で実際に歩いたルートをたどりながら、銀河の森に伝わる文化や歴史、風土を学びましょう。作品とのかかわりも紹介しています。
5月の調査の際に父に宛てたハガキには、「本日は葛の渡しを経、八重畑役場にて案内を得て権現堂山を超えその東の廻館山を廻りて亀ヶ森村八幡館に出で候」と記されており、権現堂山から亀ヶ森に向かう足どりが確認できます。亀ヶ森には、わらべ唄「雪渡りカンコ」が伝わっており、童話「雪渡り」に登場するわらべ唄との相似性が指摘されています。人々の暮らしをいきいきと作品に描いた賢治さん。どこかで、わらべ唄を耳にしたのかもしれません。
賢治さんの調査ルートを見てみよう
※赤いルートがこのページで紹介している場所と対応しています。(権現堂山~亀ヶ森~大迫中心部)