岩手県の東部に連なる北上高地。その最高峰が古くから霊峰として人々の信仰を集めてきた早池峰山です。蛇紋岩の山として知られ、標高1300mを越えると、奇岩や巨岩が数多く見られます。高山植物の宝庫とも呼ばれ、200種を越える早池峰に生息している植物の中には、早池峰山でしか見られない種や早池峰山が分布のもっとも南のラインとなる北方の種など貴重な植物も生息しています。
早池峰山の南側にそびえる薬師岳。小田越を隔てて早池峰山と向かい合う山の姿は、「早池峰が呼べば薬師が答えるようだ」と、その近さが表現されてきました。蛇紋岩のごつごつとした岩肌の早池峰山と異なり、ダケカンバ、アオモリトドマツ、ブナなどの林が広がります。樹林帯の中には、大きな花崗岩が見られ、岩陰には静かに輝くヒカリゴケの姿も。山頂には、石造りの権現様が安置されています。
山の名には、その姿を例えたものが多くありますが、鶏頭山もそのひとつです。山頂付近に折り重なった巨岩の形が、鶏のトサカのように見えたことから名づけられたのだとか。山頭部には、石造りの地蔵菩薩が立っており、大迫地方では、“地蔵のお山”として信仰されていました。近年まで女人禁制だった早池峰山に変わり、女性が登ることを許された山でした。
花巻方面から早池峰山を望むとき、早池峰山の手前にまるで横たわるように見える優しい丸みを帯びた山が、権現堂山です。山頂付近には、「熊野山」と刻まれた石碑やかつてのお堂の跡を見ることができます。熊野信仰以前は、早池峰山の遥拝所があったと伝えられています。
信仰のひと、賢治さん。童話「ひかりの素足」には、賢治さんが信仰していた法華経の経典のひとつ「如来寿量品」が大切なキーワードとして登場しています。また、賢治さんが病床で書きためた「雨ニモマケズ」が記された手帳からは、岩手県内の32の山が列挙されたページが発見されています。このページには「経埋ムベキ山」という題がつけられており、一度書いてから線で消された山や、後から別の筆記用具で書き加えられた山があるため、賢治さんが埋経の計画を練っていたのだろうと推測されています。早池峰山、鶏頭山、権現堂山も、経埋ムベキ山としてその名が記されていました。
賢治さんは、「国訳妙法蓮華経」を1000部印刷し、友人・知人に配ることを遺言として託し、亡くなります。その想いは、賢治さん自身からあふれ、ほとばしるような祈りそのものだったのではないでしょうか。
賢治さんが銀河の森と深く関わることになったきっかけは、大正7年(1918年)に行われた稗貫郡の土性調査です。盛岡高等農林学校の研究生だった賢治さんが、調査で実際に歩いたルートをたどりながら、銀河の森に伝わる文化や歴史、風土を学びましょう。作品とのかかわりも紹介しています。
土性調査に向かう際は、権現堂山を越えて行きました。また、賢治さんが父に宛てたハガキには、行程予定として、岳集落や早池峰山、七折の滝などの地名が記されています。童話「どんぐりと山猫」に登場する花崗岩と見られる“まつ白な岩”や、笛貫の滝がモデルとされる“笛吹きの滝”の情景描写など、地質や地形、名勝地など地理的なポイントを熟知したうえで、作品に織り込んでいったと考えられています。
賢治さんの調査ルートを見てみよう
※赤いルートがこのページで紹介している場所と対応しています。(権現堂山~亀ヶ森~大迫中心部、岳~早池峰山一帯)