民俗学者・柳田國男の著作「遠野物語」。日本の民俗学の発展に大きく貢献した書として知られています。「遠野物語」の語り部が、作家、民話の収集と研究を行っていた佐々木喜善さんです。
喜善さんは、明治19年(1886年)に現・岩手県遠野市に生まれました。裕福な家庭に育ち、早稲田大学で文学を学びますが、病気のため帰郷。作家活動と民話の収集を続けるかたわら、故郷で議員や村長をつとめました。村長職を退いた頃には、多額の借金を負い、家財を整理して一家で宮城県仙台市へ移住。苦しい生活のなか、昭和8年(1933年)に生涯を閉じました。400編の民話を集めた喜善さんは、その功績から、“日本のグリム”と称されています。
喜善さんと賢治さんには、交流がありました。賢治さんの作品に、「ざしき童子のはなし」(大正15年発表)という童話があります。昭和3年(1928年)、喜善さんは、ザシキワラシの研究に使用するため、賢治さんに童話の原稿を送ってもらえるよう依頼しています。原稿は、賢治さんから丁寧な手紙とともに送られ、手紙の末尾には「この機会を以てはじめて透明な尊敬を送りあげます」と記されていました。このやりとりから、二人の交流は始まったようです。
賢治さんの作品には、わらべ唄や民俗芸能にモチーフを得たとされるものも見られます。賢治さんと喜善さんは、民俗学・フォークロアの世界の住人としてお互いに共感を覚えたのではないでしょうか。土地に伝わる民話を聞取り、そのままの形で世に出した喜善さんに対し、賢治さんは、情景や民話、民俗芸能から感じたものを独自の視点からイーハトーブ童話として表現したのです。
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