第五展示室「菅原隆太郎先生と賢治さん」

賢治さんが教師として関心抱いた新しい教育方法とは?
親交があったとされる菅原隆太郎先生実績からその姿二人交流紹介します。

1)菅原隆太郎先生

菅原隆太郎先生の肖像
資料提供「早池峰と賢治」の展示館

大正8(1919)から大迫小学校長務め菅原隆太郎先生(1879〜1963)は、アメリカで始まったダルトン・プランという教育方法大迫小学校実践したことで知られています。ダルトン・プランは、教科ごとに実験室設け生徒興味能力応じ学習進め個別学習特長で、生徒自主性尊重する当時最先端教育方法でした。

菅原先生大正12(1923)220日記には、「関博士同行された宮沢さんが見えた。のしたってゐるだ。是非授業参観したいといはれた。」と記されています。当時農学校教師だった賢治さんが、菅原先生授業関心抱いていたことがわかります。

2)親交示す蔵書

菅原先生蔵書からは『春と修羅』と『注文多い料理店』の初版本と、賢治さんの遺言書ともいえる『国訳妙法蓮華経』が発見されていることから、生前深い付き合いがあったのではないかと考えられています。


から)「国訳妙法蓮華経」、「注文多い料理店」、「春と修羅
資料提供「早池峰と賢治」の展示館