北上高地の最高峰、早池峰山(標高1917m)。賢治さんは学生時代からたびたび訪れ、この地での出会いを様々な形にして作品の中に描き出しました。
賢治さんを魅了した早池峰の山々を訪ねてみましょう。
「日本百名山」のひとつにも数えられている早池峰山は、岩手県東部に位置する北上高地の最高峰です。東西十数キロにおよぶ稜線からなり、東は剣ヶ峰、高桧山、そして西は中岳、鶏頭山、毛無森へと連なっています。山頂は花巻市(大迫町)、宮古市、遠野市の3つの市にまたがっています。
山全体が蛇紋岩と橄欖岩からなり、標高1300m以上には、いたるところに蛇紋岩の巨石や奇岩が見られます。古くから霊山として人々に崇敬され、また、恐れられた山でした。
早池峰山は「高山植物の宝庫」としても知られています。一帯には200種にも及ぶ高山植物があるといわれています。ハヤチネウスユキソウ、ナンブトラノオ、ナンブトウウチソウ、ヒメコザクラなどの固有種や北上高地固有のキタカミヒョウタンボク、蛇紋岩地特有のナンブイヌナズナ、カトウハコベ、早池峰が南限と言われるトチナイソウ、サマニヨモギなど多くの貴重な植物が厳しい環境のなかで生育しています。日本のエーデルワイスと呼ばれるハヤチネウスユキソウは特に有名です。
早池峰山とその南に位置する薬師岳一帯は、国の特別天然記念物や国定公園に指定され、その保護にも注目が集まっています。
賢治さんは、作品中で、当時あまり問題になっていなかった高山植物の採取を諌めています。
河原の坊は、多くの登山客が訪れる早池峰山の玄関口の一つです。河原の坊という地名は、その昔、仏法を広めるために全国を巡っていた快賢という僧が、川のほとりに仮堂を建立し、「河原の坊」と名付けたことに由来すると云われています。その後、寺は流失してしまったと伝えられていますが、賢治さんは『河原坊(山脚の黎明)』という詩の中で、次のように詠んでいることから、この伝説を知っていたものと思われます。
こゝは河原の坊だけれども
曾ってはこゝに棲んでゐた坊さんは
真言か天台かわからない
早池峰山から西へ伸びる尾根の端に、標高1445mの鶏頭山があります。山頂付近には数個の巨岩が寄り添うように見られ、その姿が鶏のトサカによく似ているため、鶏頭山と名付けられたと云われています。また、風の静かな月の冴えた夜には、山頂から鶏の鳴き声が聞こえる時があり、これを聞いた人は幸せになるとも伝えられています。岩場には、江戸時代末期に安置された石の地蔵があり、女人禁制であった早池峰山に代わって、女性が登ることができた山でした。
賢治さんは『河原坊(山脚の黎明)』という詩の中に鶏頭山を詠んでいます。また、鶏頭山は賢治さんが埋経を示唆した「経埋ムベキ山」の一つでもあります。
鶏頭山の中腹には、七折の滝があり、落差は約50m。流水が岩にぶつかって幾重にも折れて滝壺に入ることから、この名がついたと云われています。落下する水が中間付近では一筋の美しい飛泉となり、まるで白い虹のように見えます。
早池峰山頂から南の方向を見ると、すぐ眼下にそびえている山が薬師岳(標高1645m)です。主に蛇紋岩で形成される早池峰山に対して、薬師岳は主に花崗岩からなり、植生にも大きな違いが見られます。アオモリトドマツなどの樹林帯の中に花崗岩の露出があり、岩陰では神秘的に輝くヒカリゴケを見ることができます。
蛍光菌はヒカリゴケなどの蘚類の一種で、暗所においては金緑色に光ります。洞窟内で観察する際に太陽を背にしてコケを覗くと、吸収しなかった光を反射して、美しい光を発します。
詩「無声慟哭」に、蛍光菌が詠まれています。